Archive for the ‘所長のひとりごと’ Category

石の上にも3年

HU010_L

「石の上にも3年」とは良く言ったものです。まさしくその通りだと思います。本当に試行錯誤、我慢の3年間でした。当初の予定通りにはならないことは重々承知していました。しかし、これほど予定は未定を実感したことはありません。還暦を遠に過ぎた私には無謀な挑戦であったかも知れません。

辛い出来事もありました。2年間で200人以上の会員確保が条件の「認定NPO法人」でしたが、思うように会員が集まらず断念せざるを得ませんでした。しかし、多くの方に助けて頂きました。励ましても頂きました。「認定NPO法人」は成りませんでしたが、3年間で4つの助成が採択されました。「こども未来財団助成事業」「埼玉県シラコバト基金補助事業」「生命保険協会助成事業」「さいたま市地域推進助成事業」です。私達の活動を理解し、期待して頂いている証拠と思います。

また、昨年より開始した県内を巡回しての虐待防止啓蒙活動「絵本ライブ&1日心理相談室」と岩槻区で毎月行われる「三世代交流懇話会」はぜひとも継続したいと思います。

先を見通しながら挑戦し続けるのが当法人の基本姿勢です。当初目指した設立目的を違えること無く、在るべき方向に舵を切る必要があります。今年度は、30代、40代の働き盛りの若い方々とタッグを組んでの新たな試みも致します。所長

慌てない、慌てない一休さんを見習いたい。

『OFKK2年目を迎えて』

会員の皆様を始めとして、多くの方々のご支援で何とか無事に1年間を乗り切ることができました。また、励ましやご忠告を多数頂きました。一つ一つがまさに「気づき」の連続でした。 アクシデントも数ありました。当初計画したことが進まずに再検討したこともあります。新たに立ち上げた事もあります。たった1年間の間に随分と勉強させられました。また、我が身の未熟さを思い知らされました。 しかし、お陰様で当法人のあるべき姿、方向性がより鮮明になりました。何よりも周りには、OFKKの活動に賛同し、助けて下さる多くの仲間がいます。支援者がいます。今後の方向性、目標について、ポイントを以下に列挙させていただきます。

●明年、2016年4月~5月に「認定NPO法人」の申請を致します。既にさいたま市と具体的な協議に入っております。埼玉県からも確認の連絡がありました。

●「認定NPO法人」の申請については、会報2号でお報せしています。

●当法人の事業ですが、「子育て支援相談室」と「母親講座」が柱です。(ふうせん座の公演は、母親講座で継続いたします。)但し、これらの事業は、ボランティアであり、無収入です。会員の年会費だけで賄うには限界があります。

●当法人の宝は「人材」です。医療/心理/教育/福祉の専門家が揃っています。法人の事業として、『講演・講座」の企画及び開催を致します。また、必要に応じて講師派遣を行ないます。

 

 

 

ある日の昼下がり

先日、午前中の会議が長引き、遅い昼を近くのファミレスでとりました。店の一番奥が随分と盛り上がっている。よく見ると、若い母親たちの一団です。いずれもベビーカーに子どもを乗せている。子どもたちはというと、慣れているのか騒ぎもしない。大半がベビーカーで寝ている。むしろ母親たちの声ばかりが店内に響いている。

店員に聞いてみると連日とのこと。どうやら店の一番奥は「指定席」のようだ。また、軽食で数時間も粘られるので困るといえば困る。しかし、常連となると断るわけにも行かないと困惑の体でした。このような光景が、そこ各所で見られるらしい。様子を伺うが、子育て談義ばかりではない。とりとめのない話が延々と続いているようにも見える。

二ヶ月ほど前の新聞に、子育て中の母親の四人に1人が孤立している。親しい友達も居らず、もっぱら部屋で子どもと過ごすと言われる。まさしく社会から孤立している。ファミレスに集う母親たちは、少なくとも孤立はしていない。しかし、孤立はしていないが孤独ではないと断言できるかである。次は、孤立と孤独についてお話したい。所長 藤野信行

朝日新聞で紹介されました。

新たな子育て支援施設現代版の「井戸端」が岩槻から始動

2012年9月14日朝日新聞で紹介されました。

asahi

所長自己紹介

所長の自己紹介

本年8月開設予定の「NPO・親子ふれあい教育研究所」準備室長(所長)の藤野信行です。誕生日が来ますと62歳です。昭和48年、旧厚生省の国立聴力言語障害センターが社会人としてのスタートです。そこで初めて聾唖者の方と関わり、手話にも触れました。その頃は現在と違って、私たちが手話を身近に見ることはありませんでした。彼らも使う場所、相手を選んでいたと思います。その辺りの理由や経緯は様々な方が述べています。私も「現代のエスプリ 至文堂」の中で少し触れています。

ここでは、拙著「手話で歌おう」誕生の経緯を述べます。平成6年ですから今から18年前です。その頃奉職していた大学に手話クラブがあり、私が顧問でした。ある日数名の学生が相談に来ました。もっと楽しく手話を学ぶ方法は無いかと言うのです。私はとっさの思いつきで、歌詞を手話に置き換えてみたらと提案しました。学生も面白いと言って手話で歌い始めました。その内に歌詞にイラストで手話を描く学生が出てきました。これは良いということになり、文化祭で無料で配布しました。あっという間に予定の部数が無くなりました。それほど反響があったのです。

私は早速、関わりのある幾つかの出版社に企画を持ち込みました。しかし、何処でも門前払いです。聾唖者の人に歌う習慣があるか。いったいどこの誰が手話で歌うのか。何れの出版社からも拒絶されました。一旦は諦めかけましたが、一社だけが聞いてくれました。聞いてくれたと言うよりも、一人の編集者の熱意で実現したというのが真実です。その頃私は一冊の本を執筆中でした。その編集者に泣きついたのです。彼が苦労して上層部を説得してくれました。

手話の歌の本は何処にもありません。本邦初です。いきなり新聞や雑誌が大々的に取り上げました。NHKや民放のTV局からも出演依頼があり引っ張り出されました。出版して3ヶ月も経たないうちに売れ切れ増刷です。当事者の私の方が驚きの連続でした。現金なものです。出版社では次を出せと迫るのです。

ところが、意外なほど周囲の目は冷やかでした。福祉や教育関係者の中には手話で歌うこともさることながら、聾唖者と歌が結びつかなかったのだと思います。名指しで私を批判された方もおられます。しかし、手話ブームに後押しされたこともあり、次々と手話の歌の本が出版され、書店に山積みされました。気がつけば、私の本などあっという間に絶版、いまでは影も形もありません。私自身も数冊しか持っていないのです。

何ごともそうです。初めて行うことは批判されます。時には中傷されます。しかし、非常識と言われることも、他人に迷惑さえかけなければ、時が経つと常識に変えてくれる。親子ふれあい教育研究所の事業も本邦初です。常設の人形劇場ですらほとんど無い。そこに子育て支援相談室を併設する発想もある意味では非常識かも知れません。故に本邦初とも言えます。ぜひご理解のうえご入会ください。OFKKパンフ2012 1118縮小有 040

 

 

Powered by WordPress | Designed by: Premium WordPress Themes | Thanks to Themes Gallery, Bromoney and Wordpress Themes